新宮市議会 2022-12-14 12月14日-03号
と申しますのは、新宮市においても、紀伊半島大水害、豪雨の記録が新宮市のほうから発行されております。この20ページの中に被災した我が家がございます。あのとき周辺では、お隣も、さらにその下のお隣も、皆さん避難されておりました。我が家だけ、なぜか避難することができませんでした。 その当時、今でもそうですが、消防団活動をして、12時に取りあえず解散が指示されたので、朝の搾乳のために家に帰りました。
と申しますのは、新宮市においても、紀伊半島大水害、豪雨の記録が新宮市のほうから発行されております。この20ページの中に被災した我が家がございます。あのとき周辺では、お隣も、さらにその下のお隣も、皆さん避難されておりました。我が家だけ、なぜか避難することができませんでした。 その当時、今でもそうですが、消防団活動をして、12時に取りあえず解散が指示されたので、朝の搾乳のために家に帰りました。
名古屋から高速乗って紀伊半島一周する方、あの橋渡って新宮城あったら見にいこうと思う人が大半の人もというのは、もう一つ、熊野三山へ来るんやから高速に乗って。ほいだら新宮の、絶対降りるんや。河口大橋のところで降りるか広角で降りるか、片や高森で降りるか新宮港の佐野で降りるか。
これまで質問してまいりましたが、紀伊半島豪雨災害から11年、毎年繰り返されている豪雨災害、新型コロナ感染症の蔓延など自然災害への対策は待ったなしの状況であります。 最後に、一人の犠牲者も出さないと決意表明されている田岡市長のお考えを聞いて終わりたいと思います。いかがでしょうか。
一般質問に入る前に、今月4日、熊野川町の道の駅におきまして、紀伊半島大水害で犠牲になられました方々の献花式が行われました。この水害によって犠牲になられた方の御冥福をお祈りしたいと思います。またそれと同時に、もう11年たったということなんですけれども、そういうことをいつまでも忘れずに、安心・安全のまちづくりにより一層邁進せなあかんなという気持ちで心を思った次第でございます。
9月になれば、本市も紀伊半島大水害から11年がたちます。甚大な被害が生じた本市が、また近い将来、いつ起こり得るか分からないと言われる大災害に備えて、個別避難計画書が作成できていないということになっては、もう決してそれはあってはならないと思います。
これからの新宮市を思うとき、平成23年9月の紀伊半島大水害における甚大な被害から復興を成し遂げた新宮市に自信と誇りを感じるとともに、今後、その発生が危惧されている南海トラフ地震に向けても、新宮市の地域力、市民力をもって対応していただけることを信じ、私たちもまたその力になりたいと思っております。
紀伊半島南の中核病院として、これからも近隣の市町村にも協力いただきながら、しっかりと安定した経営ができるよう、運営ができるよう取り組んでまいりたいと思います。 ◆15番(福田讓君) ありがとうございます。 続いては、眼科医の常駐につきまして、これも市長、全く市長はよく頑張っていただきました。5年前から、私は市長にもお願いしました。
次に、「基幹道路・公共交通網の充実」については、先般、紀伊半島一周高速道路の串本から太地間の起工式が行われるなど、着実に事業が進んでおりますが、紀南延伸における一日も早い完成に向け、国・県への要望を続けてまいります。 また、市道部分においては、通行時の安全性や快適性の向上を図るため、引き続き老朽化が著しい路線の舗装工事を重点的に行います。
新宮市は10年前の紀伊半島大水害、あのときの混乱、大きな被害を二度と繰り返さないように、情報伝達手段の確保は必須だと思っております。命を守るために常に市長がおっしゃっている市民の命と安全を守るためにはこの防災戸別受信ラジオの配布、スピード感を持って前に取り組んでいってほしいと思います。市長、改めてお聞かせください。
物すごいひどい状況に紀伊半島はなっているんです。 だから、私たちができることはその57人のリスクの減少、命に何事があってもならないという先ほど言った搬送のとき、そして遠くの病院に行かなければならない費用、それぐらいはしっかり出していくべきだと思いますけれども、市長、どうでしょうか。
紀伊半島の漁業は、もうはるか昔から黒潮の恩恵受けて繁栄してきていると。カツオや捕鯨は、その中で最たるものになったんだと思います。カツオについては、三輪崎の漁師は、はるか1,000キロも離れた気仙沼まで行って追いかけています。
第1のコロナ禍における避難の対応と対策について、今年でちょうど10年目を迎えました紀伊半島大水害、あの悲惨な状態、状況、今も頭から離れません。近年の異常気象で、台風、また豪雨で各地で大変な被害を受けているところでございます。そして、このコロナ禍。このコロナ禍での避難、市民の皆さん、大変不安を感じております。今まで訓練をされたということですので、その辺の説明をお願いします。
調査範囲は、過去10年程度の浸水実績を基本とし、平成21年の七夕水害と平成23年の紀伊半島大水害の浸水実績も対象に加え、現地での聞き取り調査も行いながら作成する。作成した浸水実績図は、市として排水対策等の災害対策につなげていきたいと考えている」との答弁がありました。 以上、委員長報告といたします。 令和3年7月7日、産業建設委員会委員長、柳瀬理孝。
私自身も平成23年の紀伊半島大水害の教訓から、携帯通信網やインターネット回線、テレビやラジオなどの通信網に関しては、なくてはならないものであるという実感とともに、災害面だけでなく、日常においてもIターン、Uターンの移住施策、山間部での起業支援など産業全般への影響を考えると、インターネット回線や携帯電波通信網は非常に重要なインフラとなり得ます。
大変集中豪雨があったり、特にこの10年前の紀伊半島大水害は特別な経験でありましたが、それ以降もやはり台風、また集中豪雨等、この大雨による災害が大変懸念されている状況であります。 このことは、まずは早めの避難が最も大切だということを思っております。
紀伊半島大水害による工事の遅れもあり、また新庁舎もでき、これも工事が遅くなりましたけれども、やっと、丹鶴ホールも建設に着手してから2年目ですか、いよいよこの10月3日に開館されるということでございます。思い起こせば徹夜で2日間。新宮市というところは本当に民主主義が浸透されているところでございます。私のような小さな元町議会でおったところと比べてやはり新宮市はまちです。
同様に、本年で10年を迎えることとなる、かつてない豪雨と甚大な被害をもたらした紀伊半島大水害の経験もしかりです。改めまして、これらの大災害により尊い命を亡くされた方々の御冥福を謹んでお祈り申し上げますとともに、御遺族の方々に対しまして、深い哀悼の意を表します。
そして、忘れもしない紀伊半島豪雨災害から10年の節目を迎えます。 私たちは、過去、歴史の上からも災害に遭うたびに様々な人たちからの支援を受け、支え合い、共生の心を持って困難に立ち向かい、そのたびに大きな発展を遂げてまいりました。私たちには、そういった新しい社会建設に向けたたくましき精神が宿っているのであります。
このロケット打ち上げ発射場の名称は、紀伊半島が宇宙輸送サービスの鍵となるようにと、スペースポート紀伊と名づけられ、現計画では、本年夏までにロケット打ち上げ発射場を完成させ、国の審査を経て、同年度中にロケットの初打ち上げが予定されています。 また、2020年代半ばには、年間20機の打ち上げを目指しているとのことであります。
その間に、平成23年の紀伊半島大水害では、災害処理、復興対策に、昼夜を問わず職員と市民とともに奔走されました。そして、昨年からの未曽有の新型コロナ対策と、決して田岡市長にとりましては順風満帆とは言えない政治環境で、市政を担当されてきたと私は思っております。 本当に、市長、若いということはいいことですよね。市長は当時48歳だったんです。